蛇骨神社の川上には琵琶橋と云う橋が架かっていました。その更に水上には日陰山という山があって清水が何時も湧いているようなところでした。その辺りは街道を行き来する人達が、草を踏み木を伝い、杖を横たえて渡るような悪所でした。冬草の踏みつけられた霜解け時と言えば更にひどくて、難儀する娘達のキャァキャァ騒ぐ声が凛とした杉の木立ちに吸い込まれていきました。
 今では恩田と言う村の藤兵衛さんはそんな明るい娘達の声を聞きながら、自分もわずかな足がかりを見つけては拾い道をして通り抜けました。藤兵衛さんは思い立って伊勢参りに出かけた処だったのです。その朝、村一番の貧乏な草屋に手を合わせ、粗末な身なりながら長旅の身繕いをして出立しました。陽が高くなって霜が解け始めた頃にその日陰山にさしかかったものでした。明るい娘達の声を聞くと、何の縁も所縁もないながらフッと心が和むものがありました。山裾の清水の流れを見ると、喉を潤そうと言う気にもなりました。山の辺りにはどこか清水の湧き出す水口があるものです。そこへ行けば木の枝を伝わせて清水が喉を潤すでしょう。藤兵衛さんは水の流れをたどって山に入っていきました。日陰山には解けかかった小さな氷柱のある崖があって、その先のほうで湧水のしたたり落ちるような音がしました。あらかじめ水の伝わりやすそうな木の枝を手にすると、足下を選びながら音を頼りに近づいて行きました。本当に上手いことに手頃な高さで程よく湧き出している清水の水口を見つけることができました。旅はまだ始まったばかりで無駄に時を過ごせません。急いで水口に枝を差し込むと清水が伝って先のほうまで流れ出てきました。藤兵衛さんは首をよじりながら口を突き出して喉の奥に流し込みました。うっとりとした気分で目を上げると上の木の枝に何やらぶら下がっているものがあります。
「…
 喉に清水を流し込みながら目を凝らしてみるとそれは古いようでもあり新しいようでもある、四角い木の箱でした。噂に聞くところの千両箱とは斯くあるものかと思いました。用心深く少し高いところに上がって目の辺りにすると、何とそれは紛れもない千両箱だったのです。
 こんなことは誰かの悪戯か、はたまた盗人が隠しておいたものか、どこかで見張っていて手を出したら命を落としかねない危ないものか、イヤ、伊勢参りの御褒美に神様が下さるものか、藤兵衛さんはあれこれ思案しました。…もし、神様が俺にくれるものならば伊勢参りから帰って来ても、まだその時でも有るはずだ、その時有ったらもらって帰ろう。藤兵衛さんはそう心に決めるとまた街道に戻って旅を続けました。
 何せ水呑み百姓の村でも一番の貧乏人の藤兵衛さんは、村の人達が講中を募って面白おかしく宮参りに行くのにその仲間になれなかったと言います。有り合わせで旅支度をし、懐金もかつかつでしたので宿に泊まるのがやっとでした。博打や茶屋の女に手を出すどころでは有りません。また、藤兵衛さんの身なりを見れば誰も遊びに誘うものはいなかったのです。何一つ目だって良いところのない旅人はただただ人の話に耳を傾け、海を見たり山を見たり、鳥の声にも心を癒されながらひっそりとして先を急ぎました。
 五十鈴川に着いた藤兵衛さんは川の流れに手をしたし口をすすごうとして水を汲むと、何の弾みか川面で跳ねた小魚がその手の中に飛び込みました。
「あれまァ…バカな魚もおるんやね」
 傍に居た年老いたお婆が呆れたようにいいました。
「ここに来てあんたも不思議な御方だわ」
 その連れの女がいいました。
 藤兵衛さんは照れたように笑いながら
「これは馬鹿な魚だべ」
 そう言って川の中程へ魚を投げて逃がしてやりました。伊勢の大神宮さまにお参りした藤兵衛さんは帰りの無事をも祈りました。
 焼津の辺りまで戻ってくると猟師に追われたらしい大きな猪が崖から落ちてきて藤兵衛さんの目の前でのびてしまいました。可哀想に思って腹の辺りに手をやるとまだ温かいながらもう息はしていませんでした。そうして猪に触れていると
「おぅ、なんて悔しいこった」
「これは、希に見るでっけえもんだずら」
「追い込んでいた俺達にも分けてくれねえずらか」
 息を切らして駆けつけてきた猟師たちは藤兵衛さんを囲んで勝手なことを言います。
 そのうちに中の一人がいいました。
「おらがの子馬と取り替えねえべか」
 藤兵衛さんはまだ旅の途中です。足手まといになるようなものはいりません。
「何の足手まといになるものか、国さケえればじきに働き出して馬力でもやれるもんだずら」
「いらなかったらほれッ馬力屋へ持っていけば引き取ってくれべ」
 馬が有れば一人の働きでは訊かなく楽が出来るというものです。それじゃア取り替えっこしようかと話が決まると後ろのほうにいたひとりが近くの草原から手頃な馬を引き連れて来ました。こうして藤兵衛さんは馬の手綱を引いて帰り道を急いできました。
 日陰山のところは相も変わらぬ悪路でした。馬の足も捕られかねません。何とか馬を渡してから例の水口の辺りに行ってみました。すると、何とまだ千両箱は木の枝に下がったままだったのです。藤兵衛さんはビックリするやら呆れるやら。「神様、神様…」そう言って手を合わせると千両箱を枝から下ろして馬の背に乗せました。
 これからと言うもの藤兵衛さんの人生はどんどん開けていきました。馬を使って田圃を開墾したり困っている人の田を買い受けたりしましたので、人は羨んで「大変な運だッ」と言い、それが訛って(神の「恩田」村)となったと言います。そうして良い嫁を取り裕福に暮らすようになった藤兵衛さんは、過って悪路だった日陰山の街道に立派な切り石を敷き詰めて恩返しをしたと言います。
 さて、後日見てきました。
 蛇骨神社から二、三町川上にある日陰山は、その街道が付け替えられていて忘れられようとしています。敷きつめられた切り石も今では散逸して、そちこちに転がっているのみでした。歴史の不思議な証人達もこうしてまた闇の向こうに隠れていくのでしょう。
平成14年7月
蛇幸都神社委員会物語会


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