乞食の姿をした神が居ました。水を使ったことのない頭髪は伸び放題に腰までもあり、衣類は汚れ放題、破れるに任せてあり、見るからに人にあらずの姿をしていました。実はこの乞食はもともと本当の乞食だったのですが、最後は神となったのです。神になった乞食、あるいは乞食だった神の話です。
 さて、乞食は後生大事に小さな布袋と杖を持っていました。布袋にはフチの欠けた碗やら箸やらが入っていました。箸を使うのは子供の頃に教育を受けた証拠でした。あるときは山から来たといい、あるときは浜から来たとも言う得体の知れない一面がありましたが、もとより乞食とはそのようなものですから気にしてはいけません。
 門口に立つとフチの欠けた碗を差し出し、そこに芋や栗飯を入れてもらうと、甲高い声をして礼をいいました。その声が天から降りかかるように聞こえたので神様の使いになったのかもしれません。「そう言えば澄んできれいな目をしておった」という女もいました。
 後世になると選挙と言うものが行なわれて、一人一票と言う自己主張が出来るようになるのですが、太古の昔にはそんなものはありません。その代わり<起きて半畳、寝て一畳>の身の置き場と太陽と飲水は付いていました。ただ、山の中や小島では一人きりになってしまうので、寂しがり屋や怠け者は町の中、村の中を放浪して人に追い払われない程度に近づき、背中合わせに暮らしていました。乞食をするような者は物をくれる人、くれない人、近寄れば危険な人の匂いを嗅ぎ分ける力がありました。また、天の変動や地の騒ぎには素通りの出来る得な面もありました。本当にどんな事件事故にも、知らん顔をしていられる特権の様なものがありました。そして乞食は、このことを村の住人達がもっとも警戒していることも知っていました。見かけぬ乞食が入ってくると、その乞食が火を点けたり物をとったりの悪さをするのではないかと疑ってみるのです。村人は犯罪者が村に入らないように鳴子を鳴らしたり、半鐘を打ったりするところもあるのでした。つまり乞食をしながら村々を巡り歩いていると、さまざまなことに出くわし、さまざまな村の仕打ちに遭うのでした。
 乞食は寺の境内や山裾の祠で身を横たえて眠りにつくとき、これら一日のさまざまな思いをそっと胸に手を当てて反芻する癖がありました。
 そして、いつかの夕べにありついた鰯の焼魚の匂いが、まだ爪の間に残っている手を当てて、この日にひどい目に遭ったことを思い浮かべ足の痛みをさするのでした。
 それは村の中ほどにある一膳飯屋の前の道を歩いているときでした。いやに愛想のいい明るい声がしたのでそちらを見ると、村の偉いさんを歓待し送り出す主人が、たいそう機嫌の好いこぼれる笑顔で、頭を幾度も下げているのがみえました。上客の後は残り物もたくさん有るはずです。幾らかは御相伴にもありつけるのです。こんなにいいところに出会うのは果報と言うものです。仲間に先を越されないようにすぐにでも飛んで行こうと思いましたが、主人のばかばかしく大げさな態度とわざとらしい大きな声が気になりました。あまりに事を急いで跳ね飛ばされてもいけません。ここは暫くして片づけものが一段落した落ち着いた頃合が好いかと思いました。
 乞食はそれで今暫くはよそをまわって来ようと考えたのでした。ところがこの一膳飯屋のうまい食べ残しが目にちらついて、それが良くなかったのでしょう。
 一番目に行った家は、奥から子供がじゃが芋を力一杯投げつけてきました。もったいない。食べ物を投げつける、なんて言うのは罰当たりがすることです。生のじゃが芋は見事に鼻の頭にぶち当たり目から火を吹きました。乞食は尻餅をつくとすくなからぬ鼻血が流れました。それを見るとその家の女が竹箒で砂をかけ、入り口を血で汚したとわめきたてました。乞食は四つん這いになりながら、転がっていった縁欠けの碗を探し、ほうほうの体で逃げ延びたのでした。
 四つ辻を河のほうに下りながら、柔らかい草原を見つけて腰をおろし、その草を揉み解いて鼻血を拭いました。そこで少し体を休め、落ち着いたところで今度は川沿いを上っていきました。煙の立ち上るのを見かけたのでその家に行き「おーい、おーい」と呼ばったのですが誰もでてくる気配がありません。乞食はしかたなく帰ろうとして向きを変えると、先のほうに牛小屋らしきものがありました。中に人がいるかもしれません。そおっと覗いてみるとよく肥えた牛がつながれていました。飼い葉桶の中には草藁と一緒にさつま芋の切ったものが入っていました。これは生でも食べられるものです。二三切もらおうかと手を伸ばしたとき、いきなり牛が鼻息荒く突っかかって来ました。大慌ての乞食は入り口の柱におもいっきり強く向こうずねを打ち付けてしまいました。その痛いこと痛いこと。ここを逃げだしたものの杖を頼りに足を引きずるようでした。早い所、一膳飯屋の残り物にありつくしかありません。こんな散々なめにあうことも珍しいことです。足を引きずりながら乞食の頭の中はもうろうとしていました。ただ、一膳飯屋の残飯だけが希望の星のごとく輝いていました。最後にはきっといいことが有ると思えてなりません。乞食はいそいそと大きな門についている小さなくぐり戸をぬけました。大きな門と大きな敷石はお金を支払ったお客様だけの通り道で、乞食は間違っても通ってはならないものです。もちろん、これくらいの遠慮は心得ています。そっとたつのは裏口のゴミ置場の前でした。乞食はそこで木の蓋を開けました。カタッと小さな音がしました。
「だれっ?」
 誰何するのは決まって仲居のお姉さんです。
 ところが次の一瞬
「コラッ」
 と、大きな罵声が飛びました。危うく腰を抜かしそうになりながら杖にすがって身を起こすと、手桶の水が襲いかかるように掛けられました。
 これでハッキリしました。招かれざる客、三十六計逃げるに如かずです。小門をくぐってあとすこしで道路に出られるところまでたどりついた時、後ろからおもいっきり強く蹴飛ばされ、乞食は前のめりにつんのめりました。ひどいことをするものです。必死で杖と碗の入った布袋を握り締めて起き上がると、ちらっと自分を蹴飛ばした人の顔を見ました。それは鬼のような救いのない餓鬼でした。ええ、もちろん乞食も餓鬼の形相でした。こんな村は全滅するのが相応しいのです。乞食も救いのない悲しさが溢れてきました。自分もこの村も、世の中みんな無くなればいいのです。昔居た瘡だらけの人間や痩せこけて咳ばかりする病人の、病原菌をまき散らすのがいいでしょう。そうして苦しめてあとは火を点けて焼き払ってやろう。
「この恨み、忘れぬぞ」
 乞食は一膳飯屋の主人の顔を思い浮かべて呪いました。
 ほうほうの体で村の社の石段の下までたどり着いた乞食は、腰を下ろしてため息ばかりつきました。いくら忘れようとしても恨みつらみはつのるばかりです。こんなに悔しい思いをしたことは覚えが有りません。乞食は布袋と杖を抱きしめて鼻をすすりました。すると、まだ痛みの残る鼻の穴を通して橘のいい香りがしました。そう言えば三日ほど前は良い日で、道端の橘の実が金色に染まっていて、子供が両手一杯に持たしてくれた物でした。乞食は布袋を開けて、三つ四つ残っていた橘の実を取り出すと、口に放りこんで噛み締めました。酸っぱいながら元気になる感じがしました。かすんでいた目の鱗が落ちるような気分でした。自分は死ななくていいような気がしました。しかし、この村はなんとかしなければなりません。やっぱり火を点けて焼き払うしかないでしょう。そうしなければ気持ちが納まらないのです。苦しみを与えて罰しなければ我慢がなりません。うとうととそんな考えに耽っていたとき、人の気配がしました。また災難かと身構えて音のするほうを見ると、今まで気が付かなかったのですがすぐ近くに年老いた村人が山辺に木を植えていたのでした。
 その年老いた翁が橘の良い香りに鼻をヒクヒクとさせて羨ましそうに見ていたのです。しいたげられた乞食は羨ましがられることは照れくさくも有りました。
「何の仕事をしていますのじゃ」
 乞食から声を掛けました。
「杉の苗木を植えていますのじゃ」
 翁は腰に手をあてがいながら答えました。
「あんたが植えたってあんたの役には立つまいに…」
「四十年、五十年立てば誰かが役に立てるだろう」
「そんなことが解かるか!」
「お前には解かるまい。人も木も十年立てば十歳、五十年立てば五十歳、必ず年は来るものだ」
「俺には考えられん。」
 乞食は最後の橘の種子を吐き捨てると腰を上げ、杖をつきつつ足を引き摺って歩き始めました。翁の前を通り過ぎるとき、思わず頭を下げて挨拶をし良い話を聞いたと思いました。
 また暫く行って振り返ると、さっき自分が休んでいたところで翁が何かしています。それは乞食が布袋から取り出して食べた橘の実の、吐き捨てた種を拾い集めている姿でした。その種子を蒔いて何年したら花が咲くだろう。あの杉を植えて何年したら用材となるだろう。刹那主義の悪い奴らばかりではない。子の代、孫の代に残すものをあの翁は苦労もいとわず育てている。その苦労を喜んでいる。
「この村は救われる!」
 乞食はそう思いました。
 今まで恨んでいたことを忘れ、火を点けることを忘れ、晴れ晴れとした気持になりました。こうして疫病神は退散したのでした。まこと、乞食は疫病神だったのでした。
 何年かして街道を通りかかると橘の花の香りが満ちる処となっていました。秋には手に一杯の橘の実を、多くの人達が楽しんでいました。後世、橘樹郡と名付けられた村の話でした。
平成14年9月5日
蛇幸都神社委員会物語会


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